energy
エネルギー / 環境関連
エネルギー問題へのアートからのアプローチ。映像に差し込まれる数々のダンスから、人それぞれに感じる何かしらの心の変化が、世の中を動かすムーブメントを生む可能性を感じた。やはり、アートは大事ですね。
エネルギーとダンス (アート) ってなんだ?って感じだったけど、答えのない電力問題と答えのないアートって実は似てるのかも、 難しい課題を進めるには理屈だけではなく感情も大事でそれを引き出してくれるのかな…など
映画のあとに内省の時間があるのも面白かった。
日本の電力問題。やるせなくなるくらい複雑で大きく、それでいてあまり語られない、報道されない。
それを考え続ける意味を、肯定してくれた気がして、涙が出た。
心強い仲間が各所にいるんだな、諦めないぞ、と思わせてくれる、そんな映画でした。
映画と呼ぶにはあまりにもドキュメンタリーで、教育的 で、問題提起で、アートで…
白黒つけられない社会問題が、コンテンポラリーダンスという形で内と外の両面で表現されていて、映像というものの力を強く感じた。
電力関係者にもぜひ観てほしいし、色んな人にここから始まる議論に参加してほしい。
答えのないことだからこそ話したい、違う意見を聞きたい。
電気、エネルギーの利用、 消費、 成り立ちに何かモヤモヤを感じている人に特におすすめです。
ダンスアートを通じて、観る人の社会課題に対する感性を静かに揺さぶってくる新スタイルの映画です。 映像もキレイ、音楽もイイ!
エネルギー問題に、インタビューとダンスで向き合う映画。
エネルギーだけでなく、他のことに関しても、 日本っていっぱいいっぱいです。
複雑化した問題に、解決策はあるのか。物悲しいダンスに迫り来るものがあります。
エネルギー、環境、時勢、色々考え深いモノでした。
今何ができるか?これからどうしていくか?しっかり受け止めて行動していこうと。
電力システムのお話など、共感を覚えました。
ウクライナ侵攻などに端を発してエネルギー問題が現実的な電気料金値上がりや停電リスク等によって日本の中でやっと認知され、ただ、まだ決断、行動には至っていない状態(本当に日本人がどんな生活がしたいのか、みんなが語り合うタイミングなのだと感じました)、どうしていくべきかを視聴者に問いかける内容で、比較的短い時間の中で非常に濃い内容でした。映画の最後に瞑想、内省が入っているのは非常に斬新でしたね!
衝撃的な停電を皮ぎりに研ぎ澄まされた美しくも切ない表現豊かなコンテンポラリーダンス、事実と背景については電力関係者へのインタビュー、わかりやすいアニメーションが入ることでナラティブに、厳しい現実がえぐるように突きつけられる。
見る側はそれぞれの経験に基づき、考えさせられるがその解釈は人それぞれで、決して答えはひとつではない。
複雑な要因が絡み、生きるために広範囲が影響するのでもはや個人では解決できない。
気がついたことに学びの深掘りができる一方で一つの作品で違った視点で他者を知ることもできる。
本来、どういう役割か、何が起きているか、どんな影響があるか、どうして課題なのか、誰をみた仕事をしているか、本当に大事なことは何か、どうありたいか等、哲学的な本質を考えるきっかけとなる。
私にとっては、また時間を経てから別の社会課題も見てみたい映画となった。
ダンスという第3の言葉(会話)で、こんなにも表現できるんだと発見した。
話したい、聞きたい、伝えたい、知りたい、知ってもらいたい、感じたい、感じてもらいたいことの伝達手段は、文字や言葉、音楽、ポスターや絵、以外にダンスがあるんだと発見しました。
電気がとまると、人間が倒れるという場面では、電気は大切なんだ、本当に病院などで停電したら、人が死んでしまうほどの影響力があるものなんだ…と改めて想像しました。
総じて、立場は違うけど、みんなの思いは同じことは、事実であることがわかりました。そんな人同士が、対立せず、協力することができれば、世界はもっと発展し成長すると私は確信しました。対話が必要だと再認識しました。
停電したときのような非常時に、電気の大切さを感じるのではなく、平時にも身近な電気のことを対話する機会を増やすことが、良い方向に向かう気がします。
より多くの人達にこの映画を見ていただきたいと思いました。
映画の手法は新しいもので、少々の驚きがありました。今までの電力の積み上げがありつつ、あらためて、今の形が最適ではない面があり、不協和音があるのであれば、自分事として考えてみようというメッセージを感じました。
観た後は、タイトル「Dance with the Issue」とポスターにあった「あなたとみつける未来」という言葉が腹落ちする感じ。 ぜひ観て感じてほしいです。
映画で扱われているイシューは電力。
電力問題の解決には、安定供給、経済効率、環境、など異なる観点を考える必要がある。 加えてそこで働く人々の生活もある。インタビューでも単純な解はないと語られ、安易な妥協点は示されないのですが、それでも終わったあとは、不思議なほど希望と未来を感じる映画。さまざまな観点が必要だからこそ、対話をすることで新しい選択肢が生まれるのかもしれない、と思いました。
日本のエネルギー課題を伝えるためにコンテンポラリーダンスを取り入れ、 本編終了後には内省のガイダンスもある、不思議で、意欲的な映画。
そう、エネルギーは生きるために必須の要素でありながら、なかなか認知されにくい。なぜだろう?
エネルギー自給率12%の日本は、80%以上を外国の資源に頼っている状況。
この状況をどう解釈するのか? 30年後、50年後、その先もこのままで良いのか?
資源がなければ仕方ない。でも、日本の地域単位では、まだまだ再生可能エネルギーのポテンシャルはあるはず。
映画は、特にダンスという要素と、エネルギー課題を組み合わせているところが良かったし、音楽も素晴らしかった。
インタビューの内容がわからなくても、ダンスの場面で関心が継続し、結果的に全編を見ることが出来たように思えます。 内容がわからなかったとしても、何か感じていることは確かですので、その原体験がとても重要だと思いますね!子供連れで上映会も開催可能と思いました。
この体験が、 次の関心へ繋がってもらえれば嬉しいです。次の関心を育む場や機会の創出に関する必要性も感じました。
NPO / 行政
NPO
みんなに見て欲しいです。 行くまでは 「ダンスと社会問題?」って思いましたが見事に美しく融合していて社会問題について、人間について、自分たちがこれから求めるべきものについて、これからどうやって生きていくべきかについてなど、美しいダンサーの皆様が身体で表現する、なんともいえない世界に招待してもらったという感覚です。
一日経って脳裏に残るのは、ダンス…そしてあの美しい田舎の水の流れだ…電力供給のために頑張ってくれている人達だ…って次々に映画の中のシーンがよみがえる。説明できないけれども心を打たれました!
一番印象に残ったのは、作品鑑賞後の内省パートで、 ダンスを通じて起きるアート。 自分の中のアートを探っていく中で、 アートからそして作品からメッセージを受け取っていく。
地域同士の関係による問題、国同士の関係による問題、過去と現在の関係による問題。電力の世界で起きている関係の問題と、相似形のように起きている身近な問題。
地域の文化資本や社会関係資本の機会格差、データ保護規則や貿易赤字、利益追求とリジェネラティブなど。
ロジックで解けないものをコンテンポラリーダンスで表現したかったのに、わかりやすいものをつくろうとして振付家の方とぶつかったことがあったそうな。
わからないことに向き合い続ける終わりのない対話と通ずるものを感じていた。
エネルギー問題を取り上げながら、ダンスを取り入れながら、正解を出すのではなく、問いを投げかけて、一人一人が向き合う、考える仕掛けは本当に面白いよね。映画にできることは沢山あるよね。
様々な関係が複雑に絡み合う電力問題を、コンテンポラリーダンスを通じて身近に感じられる作品。作品が内省を促してくれる仕掛けもおもしろい。
日本各地の関係の中で起きていること、過去から現在の関係の中で起きていること、各国の関係の中で起きていること。様々な関係の電力問題はあるけれど、もっとダイナミックに身体を動かして、踊るように様々な人と対話していきたい。
一番印象に残ったのは、作品鑑賞後の内省パート。作品と鑑賞者の間に起きるアートを、ダンスが感じやすくしてくれる。自分の中のアートを探っていく中で、アートからそして作品からメッセージを受け取っていく。電力を取り巻く社会課題が、ダンスを通じて身近に感じられる。
「社会課題を扱ったドキュメンタリー映画」というと、映画ならではの独創的な映像表現は乏しいイメージがあるけれど、ドキュメンタリーであり、独創的な映像表現へのチャレンジが感じられる。
有識者の語りという言葉の力、モーショングラフィックスとい うデザインの力、そしてモダンダンスのアートの力。 3つが合わさって少しずつ自分の中で情報を咀嚼していく感覚が面白い映画だった。
自分自身がどのような未来を暮らしたいかという問いが重く響く。
「自分の被害者性に目を向けがちで、 自分の加害者性に目が向けづらくなっていることへの気づき」「電力を選ぶ、地域を選ぶ、生き方を選ぶ。自律の様々な選択肢と難しさ」といったことを考えていた。
不確実、 複雑な世の中で、自分なりの解を見つけていく、対話して選択していく。
アートやエンターテインメントの力で、社会課題の認知や行動変容を目指すブラックスターレーベルの取り組みは大切だよね。
ダンス (アート) とイシュー(社会課題) という、なかなか相容れない2つをどう結びつけて映像にするんだろ?って思いましたが、想像を超えた映像表現になってました。 今まで観てきたどんな映画作品にも似ていない、まさに、オリジナリティ溢れる田村監督ワールド全開、ぜひ多くのみなさんに観てほしい作品です。
「問う」ってこういうことなんだ!
「アート」ってこんなふうに伝わってくるんだな。引き込まれ、終わったら誰かに何かを話したくなる。
行政の世界に来てとても関心を持っているエネルギー問題 だけど、それ以上にいろいろ感じる体験でした。
教育関連
edu
評判の通り、観てよかったと素直に思える作品でした。
ダンサーの動きによって、映画のテーマ(問い)が観る人の「からだ」に入って蠢く感じ。ダンサーの動きと危機的問題の連動がこちらにも響いてくる。
一貫して、ドキュメンタリー部分(インタビュー)の「可視化」ということが、映画の強みとして全面に出てましたね。そして、コンテンポラリーダンスの動きによって、視覚=頭で理解するだけではない、感情が揺さぶられる体験。それは、インタビューの言葉一つひとつや、その意味を、自身の身体(感情)で反芻することになる。
ダンスは「フリとフリの〈間〉が大事」と聞きますが、 映画のなかのインタビューの〈間〉に、なんともリッチな身体の言語を読み解く〈時間〉 がある。エネルギー問題を単なる知識や事実として押し付けない軽やかさと味わい深さがありました。
そして、なんといってもエンドロール後のふり返りの時間には驚きでした。貯感(高野昌昭さんの造語)を大事にするスタンスのうえで、まさに、ボディ・アウェアネス(からだでの内省)付き映画なんです。そんな映画見たことない、というか体験したことないですが、「あり」ですね。
映画特有の視覚や聴覚を超えて、しっかり身体性にアプローチするしなやかなしたたかさ!からだの奥底に染み込んで離れない、ふとしたときに湧き出るような潜在意識に働きかける仕掛けが随所に。
テーマはエネルギー問題 。 複雑な課題を複雑なままに、でも丁寧に差し出して、尚且つ複雑な課題に直面したときの言葉にならない感情を映像やアート (ダンス)で訴える。それだけでもグッとくるのに、最後にもう一つとびきりの体験を用意してくれる。
簡単に答えなんか出せない複雑な問題というのは我々にとってもはや日常になりつつありますが、だからこそアートと問いと対話でアプローチしてみる、というのはここ数年意識してきたことですが、シングルイシューで語ってもまるで歯が立たないこんな大きなテーマでしかも映画でやれるんだ、と、驚きを通り越して感動でした。
日本のエネルギー問題を専門家や関係者、生活者などが、それぞれの立場から思いや考えを語るインタビューに、ダンス表現とインフォメーションアニメを組み合わせた仕上がりになって、解説記事あり、有識者コメントあり、インフォグラありの 「分かりやすい観る新聞」って感じ。
作品中に、意外な人から「情」という言葉が出てくるのも印象的。
インフォグラフィック映像が差し込まれたり、 コンテンポラリーダンスが展開したり、全く新しいミックス。
「ソーシャルデザインは1事業者だけではダメ」「利害関係バラバラのステークホルダーと協業する」とよく口にしていますが、「Dance with the Issue」 は共創の在り方や考え方を、 映画というアイディアで表現しちゃったんだ!と思っています。
だからこそ課題への入り口は多種多様で、クオリティが光るインタビューからでも、理解を深めるインフォグラフィック映像からでも、情緒的な動きのコンテンポラリーダンスからでもイケる、電力課題に皆が目を向ける「装置」なんだと思います。
多くの視点から考えた「電力問題」と我々の思考を深めるコンテンポラリーアート。鑑賞後の瞑想。
これに加えて、映画を観たみんなで、ワイワイトーク。初めて出会う人も作品を通して語り、広がる対話。
映画の新しい役割を実感できました。
ロジックで考えても答えが出ない複雑な問題をまずは一人ひとりが感じたうえで、そこから対話をはじめる。その入り口としてつくられた映像作品だ。
経済産業省、NPO法人、東京電力HD、代替エネルギー会社、研究所など電力に関わるステークホルダーや識者が顔出しでインタビューに答えて語る映像と、山や里、街路や民家で踊るコンテンポラリーダンサーたちの映像が交互に出てくる。つながっているようでつながっていないようで、やっぱりつながっているのかな?インタビュアーは少し追い詰められた表情をしている。
「社会は」とか「会社は」とか「市民は」とかそういう大きな主語で語られている内容は編集されているようだ。残っているのは「わたしは」という主語でときに絞り出されるようにして出てくる言葉。ダンサーたちは苦悩の表情を浮かべて踊っている。そして映画は突然終わり、観客はダイアローグへいざなわれる。暗闇のなかで一人ひとりが内省する時間だ。
わたしはエネルギー問題よりもこの映画 +ダイアローグという対話の方法論のほうに関心があったので、映画を見て自分の生活における電力ってなんだ?というところはあまり考えなかったが、電力の問題は「化石燃料 VS 再生可能エネルギー」という単純なものではなく、ありとあらゆるトレードオフの集合体であることを改めて「感じた」。
コンテンポラリーダンスについては、 よく意味がわからなくてざらざらする感じだけが残った。あたまのすみのほうで、無駄のない肉体は美しいな、みたいなことも考えていた。
学生
student
僕たちが今感じている豊かさは、電気がサポートしている面があります。たとえば電気があるからこそ、スマートフォンを利用できています。しかしながら、近年の豊かさは、電気エネルギーがなく、自然と密接だった従来の豊かさの方がしあわせだと思いました。そして、先進国と発展途上国を比べたとき、先進国の人々は電気エネルギーを使用しているから不幸になる一面があります。それは、電気エネルギーが人々の自由度を高め、その自由度に人々は対応しきれてないため生まれる不幸です。その反面、発展途上国の人々は、電気エネルギーがなく自由が縛られているからこそ得られる、素直な豊かさがあると思います。こういった思考を得る場面だったので、印象に残りました。こういった、難しい話に、アート的な表現を付け加えることで、より直感的に理解できました。面白かったです。
言葉を通さず全身を使って表現する仕方に感銘を受けた。コンテンポラリーダンスの中でも初めて見るタイプで衝撃的だった。人間はいかにしてエネルギーに頼っているのか、エネルギーがなければ人間は生命を維持できないほどの莫大な力を持ち、またそれが資源であり、危機に犯されているということに恐怖を感じた。対象年齢やどの世代に当てたメッセージなのかを考えながら観ていた。
コンテンポラリーダンスを用いることで記憶に残りやすく、非常に恐怖を感じた。(もちろんよい意味で)
私たちが生活をしていく上での根本的な問題に目を向けることはまず少ない。それについて考える機会を持てただけでも大きな意味を持つと思う。問題に向かう意識やアプローチのアイデアはみんな持っているので深い対話になった。この問題とどう向き合っていけばよいのか。学生なりの視点で出るアイデアは、クリエイティブで同年代なのにこんな考え方が出来るんだと感心することもあった。
みんなで協力することが大事、と謳っていてもそのみんなに自分が含まれていなかったり、自分を過小評価したりと人なら誰もが持ってるであろう気持ちをありありと見せつけられた気分だった。
純粋に楽しめたと思う。エネルギー問題は実態をよく知らないから不安だったが、視覚的にわかりやすく図形等で情報が示されていたから入りやすかった。もともと抽象的なものから結びつけたり連想したりするのが好きなので、ダンスの意味や表現してるものを考察するのが楽しかった。
最初のナレーションからきっと難しい話をするのだろうな、あまり知識ないし大丈夫かなと心配していたのですが、見てみるとコンテンポラリーダンスや映像が流れてきて、知識があまりなかった私でもわかりやすくて見やすいなと思いました。
あまりこういったノンフィクションの映画を観るという機会がないので、今回観れて、今まであまり知らなかったことについて知ることができるいい機会だったなと思います。
私の中にある映画というものの概念を壊されたなと思いました。また、映画視聴後のアクティビティみたいなものがおもしろいなと思いました。
エネルギー問題をコンテンポラリーダンスという人間による身体表現で表されていて、しかもそれがとても伝わったのでダンサーさんの力もすごいなと思いました。
コンテンポラリーダンスを使った映画、とても興味深くて、伝えたいことを身体的表現で表すことができることに対して、とても感銘を受けました。
電力をダンスとして表現している所が魅力的だった。そして、答えのない映画なので自分たちが考えていかなければならないのだと感じ、これからの学びに繋がると思った。
メディア
media
気候変動とエネルギー。その無力感や、まだ残る希望をコンテンポラリーダンスで表現。僕たちが左脳で捉えがちな問題を右脳に響かせてくる。社会課題×映画にできることはまだあった。スクリーンの前で体験してくれ。
予想を超えて記憶に残る映画でした。
一人でも多くの方に見て、感じて、考えていただきたい素晴らしい作品です!
非常に面白い映画を見ました。エネルギー問題に焦点を当てたドキュメンタリーとコンテンポラリーダンスというアートの融合。
色々思い起こしたり、考えたりする機会を提供してくれたように思っています。 ありがとうございました!
本当に素敵な映画で、わたし今まで見たもので一番心が震えました。これから広まっていくよう応援してます。
監督の俯瞰力とどこも置き去りにしない、けど誰かを何かを1mm 前に進めてくれる。本当に素晴らしい映画でした。
自分の日常生活の価値観をもう一度考えよう、考えるべきだと強く思いました。
インタビュー → ダンス →インタビュー → ダンスの演出が衝撃的で、切実に自分ごとにとらえられるように引き込まれてゆきました。
また、内省の時間では「観て終わり」の映画にとどまらない取り組みが新鮮でした。
特に「理想の生活をするために伴う痛みがあるとしたら…どんな痛みなら耐えられますか…?」
といった質問があったかと思いますが、思わず頭を抱えてしまいました。
あまりに自分が恵まれて、そのことに疑問を持たず過ごしてきたことで「痛み」が想像できなかったからです。
頭を抱えた後、みなさんのインタビューやピラミッドの図、冒頭のダンスが思い出されました。
ああ、当たり前の日常は人の手で創られたものなんだと…。
この映画が特定の映画館だけでなく、たくさんの方々に観ていただける作品になることを願っています。
ダンスとイシューがどう絡んでいくのだろう、と思っていたのですが、インタビューで聴いた内容を踏まえてダンスでなにを表現しているのか?を考えると、抽象的なことと、具体的なこと、双方を考えつつ、自分なりなにを感じて、どう考えるのかを内省していたように感じます。
個人的にはダンス、というものの感じ方がそこまでわからなかったのですが、今回の映像を見たことで、ダンスに対する理解というか、感じ方も変わったように思います。イシューだけでなく、ダンスの可能性も広げる作品だなぁと感じてました!
consultant
コンサル / 金融関連
日本の社会課題を、コンテンポラリーダンスのアート表現を通じて体感するという体験提供を試みた作品。
本作の振付、表現もとても素晴らしく、あるシーンでは感極まり、涙が出ました。
作品を見終わってから今もなお、 私たちの未来のために、どのような選択をすべきなのか、何を考え、創造すべきなのか、を考え続けています。
当たり前にある電力。私たちは電力を使うことで何不自由なく暮らしていますが、 電力を使うことで戦争に加担しているかもしれないこと、自然を壊し、日本の特長でもある四季の変化が奪われていくことを改めて理解し、複雑な気持ちになりました。
でも無くては生きていかれない電力。
私たちは自分たちの未来のため、 何を選択するべきなのでしょうか?
私個人としてはクリーンエネルギーと言われる太陽光発電が、絶対に正しいとも思えず。
何がよいのかの結論をすぐに出すことは難しそうです。でもきっと、こうして考えていることに意義はあるんだろうな、と感じています。
たくさんの人に観て、感じてほしい作品です。
電力供給手段は、3.11以降様々な思想、主義主張があり、もはや公で議論するのは、リスクが伴うようなテーマです。
この作品は、そこがテーマではないところがユニークなところ。
あるべき手段を思考、議論する手前の大切な部分、現実にある事実。
エネルギーが自分にとってどんな存在なのか?を身体性で感じる。
生きる生命体として電力はいまや何なのか?
電力を取り巻く社会構造に存在する「人間の情」をアートをつうじて、感覚的に受け取ることで、無自覚に享受し、主張しがちなエネルギー課題と向き合える状態に成れることです。
映画にリフレクションが含まれており、どう感じているのか感覚や感情を置き去りにすることなく対話できる、Feel first, then thinkなアート作品です。
課題は変化する、変化への関わり方も変えていく、まるでダンスするように。
たくさんの人に体験し、感じて欲しい。
大切な人たちに。
当たり前にある電力。
電力を使うことが、戦争を支援してしまうことになること、自然を壊してしまうこと。
でも無くては生きていかれない電力。
私たちの未来、どう生きるべきなのか、何を創造すべきか、考えるきっかけになる作品。
たくさんの人に観てほしい作品。
この映画はエネルギー問題という、兎角イデオロギーやら政治やらで分断しがちなテーマをコンテンポラリーダンスというモヤモヤ発生装置をぶち込むことで観る側にいい感じのカオスを感じさせ、合理的な答えが出ない中でみんなで変えなきゃと思わせてくれる。
映画を観たというより、体験してきたという言葉が自分にとってしっくりきます。
テーマはエネルギー問題。 そこにダンスというアートな要素を組み合わせた今まで観たことない形の新しい映画でした。
普段電力問題について深く考えるわけでもないし、 コンテンポラリーダンスはテレビで2-3回見たことある程度。正直、エネルギー問題は「既得権益」なイメージが強く、考えるほど無力感が...
普段聞くことができない電力に関わる方々のインタビューと何かを表現しているダンス。
映画から強いメッセージがあるというよりも、 当事者のお話とダンスから自分への問いが投げかけられるような時間でした。
自分にとっての豊かな暮らしとは?
自分にとって無くては困る電力ってどれくらい?
日本にとって最高のシナリオと最悪のシナリオって?鑑賞後、初対面の人とでも感想の共有や対話が1-2時間できちゃう、そんな作品でした。
多様な語りの合間に流れる踊りが、 複雑なもつれや植民地主義、 生命維持装置としてのエネルギーを想像させてくれました。
困難とともに踊りつづけるしかない。
映画の視聴の中で「アート」と「社会課題」 を掛け合わせた新しい体験を提供するという新しい試みに挑戦していてめっちゃ刺激をもらいました。
コンテンポラリーダンスを観る時に、頭の中で「これはどういうことなんだろう」って考えることと、社会課題を提示されて考えることの2つの「考える」 を、映画を視聴しながらかき混ぜられていく感じ。
そして、最後に映画館の暗闇を使った瞑想ワークショップのようなリフレクションタイムがあり、自分と映画で感じたことがゆっくり紐づけられていきました。
普通のドキュメンタリー映画によるインプットとは違って、 一回自分の中ですごくかき混ぜられる不思議な体験でした。
映像とダンスの対話という新しい体験でした。
電力問題も関心ごとだったので、刺激が欲しくて観に来たら 「これ何の意味なんだろう」と激しく頭を揺さぶられる作品でした。
観る人がどう感じるか答えのない作品。
使っていない人がいない電気を、映画とダンスというアートの力を使い、まずは自分との対話、そして映画終了後アナウンスが流れ隣の人との対話。
不思議なことに、 みんな違和感なくはじめてあった人と対話してる。
中学生〜大学生に見て貰いたいと思った。
当事者の語り+インフォグラフィックス+ダンスの映像という組み合わせの可能性を感じた。鑑賞後は、やはりいろいろと後をひくもの。
声高に社会課題解決を言うだけではなく、 自身のなかになにかが沈澱するような経験をすることの微妙さ。「クリエイティブな堂々巡り」を促すアート、それに駆動されるアートは、もっと今の社会に必要だと感じた。
クリエイター / アーティスト
creative
なんでクリーンエネルギーに転換できないの?とか 先進国なのに石炭火力発電をやめないってどういうこと?とか、エネルギー問題にちょっと関心を向けると次々に出てくる疑問や難問を、このドキュメンタリー映画は震えるほど赤裸々に、 サルでもうなずけるわかりやすさで、解説してくれます。
しかも元経産相や福島原発がらみの有識者たちが、日本のエネルギー問題構造の裏の裏まで、そこまで言っちゃっていいの?と思わず心配しちゃう生の言葉で。
電力問題とダンス、どんな映画なんだろうと全く想像つかずだったけど、のっけからこんな表現方法もあるのかという新鮮な衝撃と、編集の妙で、最後まで引き込まれてました。
複雑な問題に対して正解を探すのではなくて、複雑であることを理解して、本質的に共に良くなる方法を考える。そのための思考や対話の糸口を示してくれたような、そんなふうに受け取りました。
ドキュメンタリー部分の各方面の方のインタビューは、心に留まる言葉も多く、どうやってこんな言葉を引き出せたんだろうと込み上げるものもあったり。
最後のダンスシーンのダンサーさんの最後の表情、コンテンポラリーダンスはよくわからないけどゾワっとするくらい素晴らしかった。
電力問題を考えよう!てことではなく、あらゆる課題に共通する、なんか大切なことに気づかせてくれようとしてるようでもありました。
個人的に映画は好きだけども、これはこれからも映画が社会にとって必要なものとされていくための新しい試みも含んだ作品です。
ぜひいろんな人に観てもらって、どんな意見が出るのか、何かを動かすことができるのか、映画ができることを見てみたいなーと思うし、監督の次回作も観たい!
映画の新しい形。
どんどん広がってほしい。
社会課題という投げかけを1時間ちょいじっくり考えを巡らせる時間として、とても楽しめました。
やはり映画を見て思いましたが、電力問題のような複雑かつ巨大な社会課題って、もはや誰も何も失わないという観点での課題解決はほぼ詰んでいて、何かを犠牲にしながら、個人というマクロ視点で解決を落とし込んでいくしかないんだなと思いました。
だから映画の中でも自ら選べることの大切さを語るシーンもありましたが、まさにそうで、「自分はこうするけど、あなたはどうする?」というのがここからのスタンスとしては重要なことだなと。
目の前で起きていることも大変だけど、この先何十年と響いてくるこういう問題を、じっくりゆっくり考えて、ここからじっくりゆっくり何かしら行動していくようなことを考えられる機会として、とても良い映画でした。
映画でもあるけど、体験だなと思いました。こんなにエネルギーの話をしている人が周りにいる場面に出くわす機会は、そうそうないと思いました。ぜひ体験から対話が広がってほしい。
ドキュメンタリー大好きなのでぶっ刺さりました!物凄い時間と労力を使って、丹精込めて作られている。コンテンポラリーダンスの圧倒的、神秘的な魅力、解釈を個人に委ねた世界観に引き込まれる。いつか田村監督の12話くらいのシリーズもの見てみたい。
「日本を取り巻くエネルギー問題の多層的な闇を、インタビューとインフォグラフィックスとコンテンポラリーダンスで、知性と感性に深く注入してくる映画」
観た人と話したくてしょうがなくなる。 素晴らしい「問い」を残す映画だったなと一夜明けて感じました。
あまりこれまで考えてきてなかったことを、 異質な形で、コンテンポラリーダンスという表現や瞑想、キーマンな人たちのインタビューなどなどを通して届けられてきて、どういうことなんだろう? と悶々としてます。笑
監督田村祥宏さんの描くドキュメンタリー?アート?な映像を体験して、まんまと電力問題のことを考えてしまってる。どうしたらいいんだろう。
そしてシンプルに、映像かっこいいです。
エネルギー問題の核心を突き、コンテンポラリーダンスとアニメーションをMIXさせたとても意義のあるドキュメンタリーでした。
コンテンポラリーダンスの美しさの中に電力に対する示唆やヒントがあり、普段なかなか考えられていなかった問題と向き合える刺激的な時間でした。
安易に答えを出さないことの良さを思い知る。ホントにいい映画だった。若い世代にも観て欲しい。
アートの映画でもありガチなドキュメンタリーでもあり、内省的な瞑想的な、内観的な、そういう時間でもあり。
わたしがこの映画で最初に感じたのは、かなしさだった。なんでなのかは、よくわからない。左目からだけ涙が出た。
アートはこんなに解説されないと届かないモノなのか?!という驚きや、自分の描くアートが電力依存していることへの気づきや、立場を変えると是非が余りにも変わるエネルギー問題のことや、表現から溢れてくる事実への解説や、そういう色んなことがインストールされて触発されて、思考ではなく感情から表れた。
とにかくこれは観て欲しいなあと思ったし、観た人達と出会って、感想を言い合いたいなと思った。
黙って一人で持ち帰る映画じゃなくて、集って未来を語るためにある、そういう行動を喚起させるような、不思議な映画だった。広がって欲しいな。
今、かなり観た方が良いと思う映画でした。 沢山の答えがある難しい課題を、健やかに議論したくなる映画でした。
観た人の感想がすごい聴きたい。 わたしは勉強会仲間と行ったので、終わった後話し合えたのは宝になりました。
上映後のトークで、撮影時にダンスで 「伝えたいこと」をデザインしようとする監督と、アートとして捉える振付家との間で綱引きがあったと語られた。
監督がデザインとアートの違いを「論理的な正しさ」の有無で語る時があったが、「からだの動きの流れ」を指摘する振付家が論理的でないとは言えないように思えた。
一方で、電力関係者がインタビューで「電気は世界のどこでも同じもの」と話していたことに、ダンスやアートとの重なりを感じたりした。
同じ振付を都市と農村で躍る男性のソロダンスを、編集でつなぎ何度も行き来させる映像を見ると、そこに意図を感じる。
先の電力関係者の話 (電気そのものに違いはないが、どう生産されたか等の背景を語ることで差別化される)と重なるが、ダンスそのものと、それを通じて語られるものの二重写しだった。
実際の人も電気も同じ理屈ではないが、 ダンスも二重写しから逃れられないのが現実と感じると同時に、意味や物語を伝えるためにあるわけではない 「そのもの」に感覚も社会も動かされていると想像した。
others
その他
電力というエネルギーの課題について、コンテンポラリーダンスを通して感じる映画。
頭じゃ分かっていることを、もうちょっと深いどこかで感じ直してみる、という感じ。さらにおもしろいのが、映画の最後に瞑想タイムがついてること。口に入れたものをもぐもぐ噛んでじわじわ消化する時間。
もうちょっと丁寧にエネルギーの流れを感じながら暮らしてみよう、と思えた瞑想タイムだった。
物事を変えていくには「情」が立ちはだかる、という。その通りだ。
息を引き取るように水面に沈むダンサー。目を覆う指をそっと外していく。
次世代の子たちと今、何を共創しようか。
電気が足りない=停電嫌だな、そんな話しではない。それをコンテンポラリーダンスを使うことで脳の理解から身体の理解、心の理解に繋げていく映画だ。電気の有無が身体的、心理的、社会的に起きることを気づかせてくれる素晴らしい映画だった。
だから感情論とかは全くなくて、生き方をどうしたいか、社会はどうあるのがいいのか...を考えさせてくれる。
大問題の最前線に立つ数人の人たちのインタビューを映像と音楽とそしてダンスに表現される新しいクリエイティブだった。
特にエネルギー庁の山崎さんの話しは的を得ていて、 問題の根本を穏やかに語りかけてくれる。既得権益なんていう簡単な話しではないことがよくわかる。
『Dance with the Issue』におけるダンスの存在感は、それこそダンスをこんなに美しく観られる映像があるのかと驚くくらい良かった。
電力問題で起きている事をダンスというアートで表現。 実際に当事者たちのインタビューを通じてダンスで表現する映像をスクリーンで見た時には、その表現を読み取ろうとする自分があってインタビューの言葉がダンスと一緒に刻まれてく感じでした。 内容は是非、映画館で見てください。
印象に残ってる部分は『電力問題の解決としてやらなければならないアクションは必ず上手く行かない事がある、それを受け止めて前に進む事が出来るかどうか』 当たり前のようにエネルギーとして使われている電力を依存してるこの環境を変えるには失敗というか反対だったりはあるなと思う。
でもコロナきっかけで当たり前のような依存がなくなったように外部環境の強烈な一撃だと変わるけど、 強烈な一撃を受けないでも変わる人間達の集団になっていかなきゃなと思った映画でした。
単なるドキュメンタリー映画ではないです。電力と私たちのダイアローグ、という副題が、本作は映画であり、アートであり、ダイアローグなのだということに気づかせる。
2つくらい、ハッとする言葉があった。日本は強烈なリーダーが変化を起こすのでなく、人々の協力で変化が浸透していくと研究者の人が話すところ。 もう一つが、岐阜の NPOの方が大規模な電力施設の設置計画を断り、小規模の農業用水電力を選んだという選択のあり方、思考の深さ。
エネルギー問題がテーマと聞いていたので縁がなければ自分で選んで観に行くことはなさそうな映画だなあと思っていたのだけれど、 純粋に最初から最後まで面白くて良い時間だった...
子どもの頃から「温暖化で北極の氷が溶けてホッキョクグマが....」とか言われていたし、 自分ではこまめに電気を消したり冷蔵庫開けっぱなしにしないとか色々気を付けていたけど、現実的に自分の生活に結び付けられるとまた意識が変わるね。
とはいえ電気を使わない生活は出来ないし、すぐに何かを変えられる事はないけど、何かを選ぶ時に頭の隅で「この電気はどこでどう作られているのかな」って考えられたら学びを得た意味があるかなあ。
言葉にするのが難しいけど、“情”の話が面白かったな。一番響いたかもしれない。映画のポスターにもなってるけど、印象的な場面だった。効率だけを求めて行動する事も出来なくはないんだろうけど、“情”があるから...てのもわかる。
映画のような思考実験作品。コンテンポラリーダンスを起点に社会問題にアプローチするのおもしろいな。
思考を巡らせる作品であった。
私たちが直面しているエネルギー問題を、事実と内省を掛け合わせて表現されている。
一見、ドキュメンタリー映画だと捉える人も多くいるかもしれないけど、コンテンポラリーの演出で急にアート的になり、課題定義の認識と課題解決に向けた思考の両方を脳みその中で行き来しながら進んでいくストーリーに圧倒される。
決して「この映画はこういう映画だ」と断言して評論できない、本当に新しいかたちの映画でした。
電力という身近な問題を知り、ダンスという言葉にならないものを受け止めることで、 自分と対話することから、隣の人と話すことから、新しい未来の選択肢を見つける。
新しい映画体験たくさんの方に観てほしい。
正解のない問題に日々向き合い、尽力を尽くしてくれている方々がいる。
その方々の努力の恩恵がなくてはならないもので、でもあるのが当たり前となってしまっている電力。この問題に真剣に向き合い、未来に繋ぐ…今何ができるのか?それに取り組んでいる人たちの声を聞いた。
些細な事でもやらないよりやった方がいい。大切なのは意識を向ける事。そして、自分がどういう人生を歩んでいきたいのか?そのために何が出来るのか?
そこに、少しでも色んなところからの恩恵で生かされているという感謝の念が入ったら、在り方や行動が変わる。
映画のテーマに関して答えが出せないだけに、複雑な心境にもなったけれど、確実に私を動かす原動力をもらった映画でした。
今地球に生きるたくさんの方々に見てほしいです。
身近な社会問題とアート(ダンス) が組み合わさり、対話を促す映画と聞いていましたが...
観終わった後、これまでの映画とは全く違う感覚に。
ちょっとふわふわしたような...
でも、スッキリしちゃうような...
セラピー的な要素があって、自分と向き合い
もう一歩前に、考え、進んでいけたら...と、新たな気付きも。
こんな映画観たことない!!
未来の新しい自分に出会えるきっかけをくれるような、そんな映画です。
ドキュメンタリーだけど、ドキュメンタリーっぽくない、一見相反する要素が共存する、不思議で新鮮な余韻の残る作品でした。
構造が複雑で解決が難しい社会課題に対して、理屈や理論で考えてしまいがちな脳。
でも、言葉ではまだ説明できない、意識下の漠然としたイメージや気づきのようなものを、アート表現を触媒に次々引き出されていく感覚は、映画を観たあの場だったからこそできる体験でした。
面白い体験でした。映画もダンスも対話も沢山の問いと気づきをくれました。
ロジカルに表現できない、したくない気持ちもあるけど、映画の中のこの言葉にもハッとさせられました。
「電力は究極のコモディティだ」
沢山の異なるストーリーとプロセスがあってできてるエネルギーなのに、アウトプットは全部同じ電気。
普段から多数、家で映画を観ているわたしだけど、なんというかそうしていることが、申し訳ないような感覚になった。映画に関わるアーティストに対して失礼なのではないかと…。消費的なエンタメじゃなく、アートとしての映画に、ちゃんと身体が触れたからかもしれない。
エネルギー問題についての、色々な立場の人のインタビューと、映像のなかで繰り広げられるコンテンポラリーダンス。ダンスというと、リアルな場で感じる身体表現であることが大事とされる感じもあるけれど、映像で観ても充分面白かった。そして、最後は瞑想ガイドつきという。
これだけのチャレンジをしている監督・田村さんのアーテ ィスト魂を讃え、尊敬する気持ちが沸き起こる。本当のアーティストはここまでやるんだなぁ、と。
ある意味、技術的にはこれ以上ないほどに進化し発展してきた映画文化において、 映画としての映画をわざと少し崩し、崩した穴から何か漏れ出たり、入ってきたり、なにかしらの繋がりが生まれるすき間をあえてつくっている、そういう感じ。
映画を見て、エネルギーに関しての答えが生まれるわけではない。でも、問いを得ることができる。わたしたちにとって、生きるとは、どういうことなのか。
そして鑑賞中に、たったいま紛れもなく、電力を通じて映画を見ているということも、不思議な疑問を抱かせた。
初めて観るタイプの映画でした。 ドキュメンタリーであり、 アートであり、自己と世界の間に身を横たえる対話の時間でもあった。
鑑賞後、シートに腰掛けたままおこなわれた内省の時間も、対話の時間も、どれも新鮮でクリエイティブで楽しかった。
行ってよかった。いい体験でした。
身近で大き過ぎる課題、電力について、経産省、東電、自然エネ界隈の方のインタビューとダンスと音楽、その後の内省時間、というアート。
映像と音声から、電力の課題と向き合いながら、自分自身の今の課題にも意識が行き来する。
鑑賞後の今は、複雑に絡んで硬直する課題を、多方面から言語化しつつ、身体的なアートの表現を掛け合わせるっていい。
自分も身体と呼吸を使って体内に心に浸透させると、もう少し本能に近づき、今見えないところに思考が進むんじゃない かという感触。
おもしろい体験でした。
社会課題を頭で考えるだけでなく身体で感じられるような構成は、 左脳と右脳が交互にダンスするように揺さぶられる感覚を覚える。
経済活動や社会生活に無くてはならないのにシステムの全体像が見えにくい電力インフラと、無表情だけど意志があり悲しいほどに美しいダンサーの姿に、両者のエネルギーが重なって見えた。
本編終了後に、観る者の内面の気づきや変化に向き合い、なんともいえないモヤモヤを感じて受け入れるマインドフルネスの時間があるのも新しい試みで、これがとてもよかった。
色んな選択肢を増やしたり、小さな共感を積み重ねていったり、そうした一つ一つ の実践の先に未来があるなあと感じた。
アートって、やっぱり生きていくエネルギーだ。
綺麗にインフォグラフィックが馴染み、かつ強めな取材先から本質的発言が次々飛び出す稀有な社会派映画。
カットインするコンテンポラリーダンスによってヒトと電力との関係を生々しく意識させられた。
社会が変わる中、エネルギー問題は深刻。でもあることが当たり前で、誰かがどこかで作ってくれている電力システムはそう簡単には変わらない。アートとデザインの力で私たちの心に訴える田村監督のチャレンジがすごい。
想像以上に素晴らしかったです。
電力関係の方々とお仕事させて頂いていた時期があり、 日本のエネルギー事情について学ばせて頂いたり、見学などに行かせて頂いたりもしていました。
見たり学んだりする中で、世の中にもっとこういうことを知ってほしい!と思うことが沢山あったのですが、それを伝えてくれる作品、かつ、そこにダンスという表現が交わって、情報だけではなく、感性にも届いてくるものがあります。